北海道内路線を飛んでいたYS-11が退役するらしい、と言う話が聞こえ出したのは、2001年のことだったと思います。羽田~大島線のYS-11がDHC-8-300に置き換えになり、引き続きDHC-8-300の導入が続き、YS-11は順次退役、と言う話でした。
DHC-8-300は、2001年7月に1号機となるJA801Kがデリバリーになり、YS-11のJA8722が退役して行きます。その後、2001年11月にJA802Kが、2002年4月にJA803Kが、そして2003年1月にJA804K、2003年4月にJA805Kが導入され、YS-11は2003年8月31日の、女満別~新千歳のANK454便にて、ANAグループとしての運航を終了しています。
一方で、DHC-8-300は、羽田発着の大島、三宅島線と、丘珠発着の道内路線に就航していました。尤も、三宅島線は火山ガスの影響などもあり、YS-11が飛んでいた頃に運休になり、再開するまで数年かかっています。
一方、北海道内路線は、2010年7月のANAグループが丘珠発着便から撤退。それを機に、DHC-8-300は、北海道運用分の4機が、伊丹ベースになり、大阪~四国路線を中心に活躍するようになります。
尤も、伊丹も安住の地にはならず、導入から1年後に退役が始まり、2012年までに4機が退役。伊丹ベースでのDHC-8-300の路線は消滅、最後に残った羽田~三宅島線も、新中央航空に運航移管し、ANAグループのDHC-8-300は退役してしまいました。
そのDHC-8-300は、導入当時は1機ずつ違った柄が描かれていました。
Air Nippon Bombardier DHC-8-300 JA801K at HND/RJTT (August 2001)
DHC-8-300の1号機となったJA801Kは、当初エアーニッポン扱いでの運航だったため、機首部分に大きく「ANK」のロゴが入り、機体にもAIR NIPPONと入っていました。
この機体、エアーニッポンネットワーク時代を撮影しておらず、こちらのショットしか持っていなかったりします。
尾翼に描かれた花は「つばき」。ご存じ伊豆大島のシンボルのような花で、羽田~大島線に最初に就航することもあって、この機体に描かれることになったようですね。
Air Nippon Netowrk Bombardier DHC-8-300 JA801K at HND/RJTT (18 September 2010)
ご存じの通り、このお花の尾翼は2008年に塗り替えられることになりました。一番最初にJA801Kが塗り替えられ、その後「残してほしい」と言う陳情もANAに対して行われるようになったのですが、ANAは粛々と塗り替えを進めて行くことになります。
余談ですが、この機体、2010年7月のDHC-8-300の伊丹移管後、ほとんど伊丹でその姿を見ていません。私のアーカイブの中にあったのは、羽田で撮影したこの1枚だけ。その後、2011年8月に退役、その後Nordic Aviation Capital経由でCenovus Energy Inc.にリースされ、現在はC-GBOSとして、Sunwest Aviationというカナダのローカルエアラインで飛んでいるようです。
Air Nippon Netowrk Bombardier DHC-8-300 JA802K at OKD/RJCO (16 February 2003)
2号機はひまわりになったようです。女満別空港の近くにひまわり畑があったかと思うのですが、調べてみると北竜町と言うところに、広大なひまわり畑があるようですね。この機体以降は、エアーニッポンネットワークの機体としてデリバリーになっています。
Air Nippon Netowrk Bombardier DHC-8-300 JA802K at ITM/RJOO (18 December 2010)
こちらも塗り替えになり、2010年7月からしばらくの間、伊丹発着路線に入っていたので、その姿を見ることができました。ちょうどこの機体が活躍する最晩年に、私の撮影機材がレンズを中心に一新された頃で、何とか高解像度の1枚が残っていました。
2012年7月に退役し、現在はDynamic Aviation Leaseを経由して米国陸軍へ。N8300Sとしてオールホワイトで飛んでいるようです。
Air Nippon Netowrk Bombardier DHC-8-300 JA803K at OKD/RJCO (14 July 2003)
3号機は北海道を代表する花、スズランが描かれることになりました。5機の中で、おそらく一番北海道らしい柄だったのではないかと思います。
Air Nippon Netowrk Bombardier DHC-8-300 JA803K at ITM/RJOO (7 November 2010)
こちらもリペイント後、2010年7月以降は伊丹ベースになっており、撮影に行くと、ほぼ毎回遭遇していました。
2012年11月に退役になり、その後フィリピンのエアフィルエクスプレスを経て、現在はPALエクスプレスでRP-C3020として飛んでいます。この機体の大先輩に当たる、道内路線で活躍していたYS-11もフィリピンに渡っていることを考えると、奇遇とも言える「次の就職先」だったのではないでしょうか。