2017年で飛行機趣味を始めて30周年になり、さらに2年も過ぎています。尤も、写真撮影を始めたのはその3年後で、東京オリンピックの年の2月で30周年となる訳ですが、30年と言う歳月は恐ろしいもので、自分が普通だと思っていた飛行機がいつの間にか退役していなくなっていた、なんてのが結構ザラにあります。例を挙げれば、B747クラシック、DC-10、B737-200、IL-62Mなどなど。さすがにここ数年は、その感覚は抜けましたが、2016年みたいにB747クラシックに4回も乗ってしまうと、これはこれでまた感覚が狂うことにもつながります。
本題に戻ります。私がこの趣味を始めたきっかけ、普段よくお話する人は結構知っているんですが、実はJALでもANAでもJASでもないんです。たいてい皆さんこのあたりのエアラインに興味を持ったり、実際に乗ったりして興味を持つことが多いのではないかと思います。
30年以上前の私、飛行機には全く興味がなく、英語も超のつく苦手科目。「これからは国際化の時代だ」なんて言われて、親は必死に英語を勉強させていましたが、正直全然ダメでした。日本地理は好きだけど世界地理は大嫌いで、興味の中心は鉄道にありました。
中3になる春休み。家族旅行でタイに行くことになり、両親から「バンコクに行く」と言われたんですが、「バンコクってどこの首都だったっけ」と言って、両親が唖然としたのを覚えています。さて、そのバンコクに行くのに、当時名古屋近辺に住んでいた私たちにとって、直行便のないところに行くことになります。オーソドックスなルートはソウル経由の大韓航空でしたが、うちの親が持ってきたツアーはキャセイパシフィック航空の香港経由。しかも当時のキャセイは直行便はなく、名古屋~台北~香港便のみで、このフライトですら週5便だったか、毎日飛ばしていませんでした。
そして乗った飛行機が、「Super Tristar」と書かれた、当時のキャセイのアジア路線の主力機だったトライスターです。今のキャセイで言うと、リージョナル仕様のA330みたいな位置づけで使われていましたが、とにかくこれがとんでもない機体で、大半がイースタン航空やイギリスの倒産したチャーター便航空会社、コートラインの中古機。そしてチャーター便仕様の恐ろしく狭い座席で、先日も香港の友人とこの話でひとしきり盛り上がったほどです。
名古屋、台北、香港と移動し、香港カーブを描いて啓徳空港へ。ここで3時間のトランジットがありました。ゲート付近で何をするでもなく飛行機を眺めていると、私のうすぼんやりした記憶の中に出てくるのが、ブリティッシュエアウェイズのB747-200B、ロイヤルブルネイのB757-200、フェデックスのDC-10F、中国民航とチャイナエアラインのB747-200B、そして地元キャセイのB747-300あたりでした。B747-300は、1985年だったかにデリバリーが始まったばかりで、今で言えばA350みたいな感じだったと思います。
香港から先のキャセイパシフィックのフライトは、英語と広東語、タイ語しかアナウンスが入らなかったのと、夜間飛行ですごく怖かったことを覚えています。まあ、今乗ったら「普通のフライト」でしょうけど、英語のわからない中学生にはものすごい怖いフライトだったわけです。
そしてこの旅行は、私の中の何かを変えたようです。5日間の旅行を終えて帰宅すると、まず飛行機の月刊誌を読むようになりました(当時は2誌あったので、主に「翼」を読んでいました)。そして、あれだけ興味がなかった世界地理と英語が、スポンジが水を吸うかのように吸収されて行ったのです。今や世界地理はともかく、英語に関しては趣味でも仕事でも普通に使いますから、あの当時の自分に与えた影響は計り知れないものがありました。
世界地理はタイへの旅行が、そして英語は香港からバンコクに向かう薄暗いキャセイの夜間飛行の怖いフライトが転機になったようです。
2017年9月、1年ぶりにキャセイパシフィック航空のA350に乗って香港へ。あの頃とは何もかもが違ってしまっていますが、私自身は、あの狭くて薄暗いキャセイパシフィック航空のトライスターに乗って、香港経由でバンコクまで行ったことが、今の趣味の原点になっていて、やはり未だにキャセイパシフィック航空が一番であることは変わらないのかもしれません。そして2018年には、息子の初国際線もキャセイに献上。 そう、JALやANAやJASでなく、私はキャセイパシフィック航空でこの世界に足を踏み入れ、香港に育てられた、と言うのが一番正しいのかもしれません。