1990年代のゴールデンウィークチャーター@NKM(その1)

1990年代のゴールデンウィークチャーター@NKM(その1)

私が飛行機の写真を撮り始めたのが1990年ですので、今年でちょうど30年。この間に、関西国際空港(1994年)、中部国際空港(2005年)と2つも大きい空港の開港がありましたし、成田の滑走路増設(通称B滑走路、RW16L-34R、2002年)もありましたので、30年前と現在では、日本の空港における運航可能便数にも大きな差がありました。
また、バブル経済の崩壊前後と言うこともあり、景気が悪いと言われつつも、今と比べたらずっと景気が良かったと思います。その状況でしたので、1990年代前半のゴールデンウィークや年末年始、夏休みシーズンには、多数の臨時便が設定されていました。
ところが、関空は開港前、成田は発着枠がパンパン、羽田の国際線は便宜的に残された中華航空(後のチャイナエアライン)のみ発着可能と、臨時便を発着させる空港がなかったのも事実です。そこで注目されたのが、名古屋空港です。滑走路は2830mと、大型機の離着陸には少し心もとない感じではありましたが、旅客チャーターであれば、貨物の搭載が少ないので、名古屋の短い滑走路でも何とか運航できること、新幹線で東京から2時間、大阪から1時間の距離で、名古屋自体の需要も加えればそこそこの乗客を稼ぐことができた、と言うこともあったかと思います。

El Al Israel Airlines Boeing767-258/ER 4X-EAC (NKM/RJNA, April 1992)

1992年に運航されたエル・アル・イスラエル航空のチャーター便は、テルアビブへ向かうものでした。海外旅行ブームも少し加熱した感があり、北米やヨーロッパでは飽き足らず、変わったところへ行きたい、と言う需要も多かったのでしょう。おそらく初めてのイスラエルへの旅客チャーターだったんじゃないかと思います。
この年の夏にはボーイング747を使用したチャーター便も運航されていますので、イスラエルへのチャーターは結構人気があったようです。
発着時間が悪くて撮影できませんでしたが、ロイヤルヨルダン航空のヨルダン・アンマンへのチャーター便もこの数年後に運航されていましたので、意外に中東に行く、と言う需要はしばらく続きました。

Air China Boeing747SP-J6 B-2454 (NKM/RJNA, April 1992)

エアチャイナはチャーターシーズンの常連で、だいたい年末年始とゴールデンウィーク、夏休みになると、いろいろな機材でやってきていました。あれ、エアチャイナって今や日本中に定期便飛ばしてませんか?と思った方も多いと思いますが、1990年代初頭の中国は、今ほど経済発展もしていませんでしたし、大都会上海も、浦東新区の辺りは何もありませんでしたから、日中間の往来も、一方的に日本から行く方が多かったんですね。コロナ禍で止まってはいますが、今は完全に逆転しています。

Air China Boeing737-2T4/Adv B-2506 (NKM/RJNA, May 1991)

エアチャイナの面白かったところは、とにかく機材がバラバラで、ある日は747で、ある日は767で、ある日は737で、と言った感じで、日替わりメニューでの飛来でした。このチャーター便、エアチャイナが名古屋に定期便で乗り入れた後も時期になると飛来していまして、末期には777-200なんかも使用されていました。
747はほとんどがSPでの運航で、当時のエアチャイナ、持っていた747-200Bは貨客混載型(コンビ)だったので、旅客チャーターで使うには、後ろの貨物室が必要なかった、と言う事情もあったようです。

China Eastern Airlines Airbus A300-605R B-2308 (NKM/RJNA, May 1991)

中国系はエアチャイナだけでなく、中国東方航空も常連で、A300、A310、MD-82がやはり多客期のチャーター便として飛来していました。1日に2機、3機と来ていましたから、当時中国に行く人がかなり多かったとも言えそうです。
私自身1992年に初めて中国に行きましたが、当時は物価も安く、観光地も結構しっかりあるので、旅行に行くには今よりも良かったんじゃないかと思います。

China Eastern Airlines McDonnell Douglas (SAIC) MD-82 B-2135 (NKM/RJNA, May 1992)

余談ですが、中国東方航空や、後に中国北方航空のフライトでやってくるMD-82の中には、中国でノックダウン生産された機体も混じっていました。見た目はMD-82ですが、製造は上海航空機製造(SAIC)でしたので、よく中国製のAn-24、運輸7をもじって、運輸82とか運82とかからかって呼んでいました。
尤も、中国製だからと言って問題があった訳ではなく、この機体は1999年に中国東方航空から退役すると、スペインのスパンエアに売却され、2009年まで空を飛んでいました。
中国東方航空の名古屋チャーターは1992年に定期便が就航した後も続き、21世紀に入るくらいまで続いていましたし、最後の方は使用機材もA340やMD-11なども投入されていましたので、この辺りはエアチャイナと似ているのかもしれません。

China Northwest Airlines Airbus A300-605R B-2310 (NKM/RJNA, May 1993)

名古屋の中国系と言えば、もう一つは中国西北航空でしょうか。1992年からチャーター便の運航を開始し、その後中国東方航空の便名で定期便就航しています。当時、中国の国際線運航ライセンスは、エアチャイナ、中国東方航空、中国南方航空の3社のみに与えられており、中国西北航空は自社のライセンスがなかったのです。
中国東方航空が引き取りを拒否したA310を2機使って運航開始しましたが、93年のゴールデンウィークのシーズン中に、いきなりA300-600Rを投入して名古屋の航空ファンの度肝を抜きました。一緒に撮影していた当時の撮影仲間が、「あれ、胴体長くない?」と言ったのが今でも印象に残っています。
中国西北航空は、その後自社での定期便運航に加え、他の中国系航空会社同様に機材を変えた臨時便も運航。Tu-154MやA320、BAe146などを使った名古屋へのチャーター便をこちらも21世紀に入る頃まで飛ばしていました。
中国系の航空会社は、他に1990年代の後半に、中国西南航空や中国南方航空なども運航していましたが、その後日本から中国に渡航する人が減少、国際線が名古屋空港からセントレアに移る頃にはほとんど消滅していたかと思います。

(その2に続く)

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