青春の747 PP-VPH/VPI Boeing747-441/475

ヴァリグブラジル航空は、かつてのブラジルのナショナルフラッグキャリアで、1990年代には日本路線を成田、名古屋から運航していました。当時は日系ブラジル人の日本への出稼ぎ需要が高まった頃で、サンパウロやリオデジャネイロからロスを経由して成田、名古屋まで、ボーイング747-300と-400で運航されていました。成田と名古屋を合わせて毎日運航になっていたほどですから、当時のヴァリグにとって、日本路線は最長距離に近い路線の一つだったでしょうし、747が長期に渡って拘束されても、運航する意味の大きい路線だったことが伺えます。

私が駆け出しだった頃は747-300を使っていて、成田/名古屋からロサンゼルス経由でリオやサンパウロへというルート、所要時間は22時間とかでした。主に全旅客型の3機が就役していましたが、たまにコンビの2機も飛来していたようです。
ロスまでが10時間くらいかかるでしょうから、そこからトランジットを入れてさらに10時間、今と比べれば機内エンターテインメントも大したことがない時代の空の旅なので、かなり苦痛だったんじゃないかな、とすら思います。

さて、そのヴァリグ。1991年から93年にかけて、747-400を3機導入します。1機は当時のカナディアン航空(現在はエアカナダに吸収)が発注キャンセルした機体、残り2機はカスタマーコードから自社発注機材ですが、リース会社経由での導入になったようです。

この3機の747-400は、なぜか名古屋発着で93年頃から飛来するようになりまして、名古屋で複数回の捕獲履歴が残っているほか、当時開設したばかりの香港線にも投入されていたようです。ヴァリグの香港線は、ヨハネスブルグ、バンコク経由での運航で、地理的には日本がちょうど真裏ですので、香港あたりだと大西洋・インド洋経由の方が速い、ということになったのかもしれません。

ところがこうした長距離路線の採算性は全く良くなかったようで、747-400も、わずか2年の活躍で運航を終了し、1994年にILFCにリースバックされてしまいました。747-300が2000年まで活躍していたことを考えると、非常に短命だったとも言えそうです。

リースバックになった元ヴァリグの747-400は、1機はガルーダへ、2機はニュージーランド航空に移籍します。PP-VPHとPP-VPIは共にニュージーランド航空へ移籍し、2014年まで20年間にわたりニュージーランド航空の国際線で活躍を続けていました。
この2機は生涯を通じて南半球に縁があった機体、そして日本への飛来もしていましたので、私たちにも少なからずの縁があった機体、ということができそうです。

いずれも2014年に退役後、アメリカで解体されています。

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