初めての国際線

「飛行機撮影30年」を2020年に迎え、その時に記事を書いたのですが、私の初国際線はもっと前、今から39年前のことです。先日年老いた母親に聞いたところ、「あの時は買った株が上がって相当額の臨時収入があった」らしく、当時まだまだ高かった海外旅行に行くことになりました。小学生の子供(私と弟)を連れて行く行先として両親が選んだのはグアム。そして名古屋発着はコンチネンタルミクロネシア航空、ということになりました。

コンチネンタルミクロネシアのグアム線、撮影面で30年を振り返ると、実は一番よく遭遇していたのはDC-10だったのかもしれません。ところがDC-10が投入されるのは1980年代後半のバブル期で乗客が増えた後のことで、当時は727で週何便か飛んでいただけでした。
さて当日の記憶、今でも覚えているのはタラップで搭乗したことと、結構座席が前の方だったこと、それから最前列の席だけ727の標準の3-3ではなく2人掛けのビジネスクラス風の席だったことがあります。この当時、正直飛行機にはほとんど興味はありませんでしたので、ボーイング727に乗っていた記憶も、安全のしおりに書かれた機種名だけだったと思います。

機内食はチョイスなしのチキンだったのと、プリンのようなめちゃくちゃ甘いアメリカ仕様のデザートがついていたことは覚えていて、サービスの担当はベテランのアメリカ人の女性CAさんで、子供の扱いが上手かったので、まだ幼かった弟がぐずらずに飛行機に乗っていられたことが記憶にあります。

途中経由地のサイパンでコックピット見学もさせてもらえたので、あの時しか乗っていないコンチネンタルミクロネシア航空の印象は、今も良いままだったりします。

さて、当時は飛行機に興味がない私、なぜか初めての国際線フライトの機材が特定できています。N18477、Boeing727-30です。全く飛行機には興味がないはずの親が撮っていた、搭乗前の写真の背景に、このコンチネンタルの727のレジ部分が写っていて、はっきり「N18477」と分かるものがあったのです。

この機体、1964年にルフトハンザドイツ航空向けの727の3号機、D-ABICとしてデリバリーされます。その後、LHでは-200に機材を置き換える関係で、1975年にボーイングに売却、翌年コンチネンタル航空に移籍しています。コンチネンタルミクロネシアへの移籍は、海外の文献では1984年、とありますが、その1年前にこうして搭乗しているので、実際はもう少し前にミクロネシアに移籍したことが分かります。
コンチネンタル航空から退役したのが1993年、その後当時のザイール、現在のコンゴ民主共和国に売却されていきます。2004年に退役、解体されるまで飛んでいたようですから、製造されてから40年、結構長生きしていたようです。

私自身が初国際線で搭乗したのが1983年で、すでに機齢は19歳に達しています。727の当時は耐用年数が20年くらいと想定されていましたので、いつ退役してもおかしくなかったはずですが、結局コンチネンタルで飛んでいた時点で29年経過、さらにコンゴ民主共和国で11年と、状態も良かったのかもしれません。

私が飛行機に本格的に興味を持つのは、さらに4年後、撮影するのは7年後になるのですが、この古い727を、自身の手でカメラに収められたのは、何かの縁だったのかもしれません。

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