大正生まれの丸窓電車

大正生まれの丸窓電車

阪急の車齢50歳よりもそういえばもっと長年走っていた電車があることを思い出した。飯田線と同じくらいの思い出のある電車でもあった、

私の祖父は岐阜の出身で、戦後祖母と結婚するにあたって愛知県にやってきたので、おそらく祖父の人生の2/3くらいは愛知県で過ごしていたはずである。
その祖父は、墓参りや親戚の家に行く用事でよく岐阜に行っており、私も何度となく岐阜に連れて行ってもらった。祖父の実家は、名鉄谷汲線の黒野駅に近かったようで、当時は国鉄だった東海道本線に名古屋まで乗り、なぜか名鉄に乗り換えて新岐阜、そしてそこから岐阜市内線~谷汲線というルートが多かったことを覚えている。当時の国鉄岐阜駅に降りた記憶はなく、大学生になって岐阜に通うようになり、毎日JR岐阜駅に降り立つようになっている。

正直東海道本線は153系/165系か113系で、名鉄もパノラマカー7000系か5500系あたりが多かった記憶があるが、何に乗ったかは覚えていない。逆にはっきり覚えているのは谷汲線直通運用に入っていたモ510/520であった。ちょうどスカーレット1色への塗り替え過渡期だったので、赤白ツートンの車両もまだ走っていた。転換クロスシートが並び、急行運用に入っていたのだが、まさか大正時代に製造された車両だとは思ってもおらず、丸みを帯びた車体と塗装が子供心に記憶に残っていたので間違いないと思う。祖父に乗せられた記憶があるのはモ520の方で、確か522だったか523だったと思う。いずれもすでに現存しない。

人生とはよく分からないもので、私自身はそれから10年以上を経て、青春期を岐阜で過ごすことになった。その時はすでにモ510/520は、基本的には引退していたのだが、予備車として残ったモ510の3両が21世紀に入る頃まで走っていたので、時折岐阜市内線を走っているところを目撃した。当時は鉄道からはほぼ足を洗っていて、飛行機にしか興味を示していなかったので、そういう意味では本当にもったいないことをしたと思ってしまう。

その後、谷汲線も廃止になり、2005年に岐阜市内線を含めた600V区間が全線廃止になり、モ510は引退した。ただ、最後まで残った3両は、静態保存ながら岐阜県内に残っており、いつか訪れてみたいと思っている。
1926年に製造された電車が引退したのが2005年、つまり79年間も岐阜で活躍したのであった。飯田線の旧型国電も、阪急3000系も真っ青な、「長生き」な事例であった。

そして、写真の通り、モ510も我が家にやってくるオチがつくのであった。

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