魚釣りに行ってみた

生き物が好きな息子は、昆虫だけでなく魚も好きらしく、某テレビ局の魚に関する番組を毎週楽しみに見ているようです。その番組や、保育園のお友達に話を聞いたのか、ある日「お父さん、魚釣りに行きたい」と言い出すようになりました。
嫁と二人でいろいろ調べると、車で30分ほど行ったところに釣り場があり、そこでサビキを使った釣りならできそう、ということがわかったので、義父がかつて使っていた竿をもらい、サビキの仕掛けやらアミエビやら買って、釣り場に行ってみることにしました。

当日朝、車で釣り場を目指すと、釣り場のウェブサイトに「満員で入れません」との表示が。結局、夕方から再度行くことにして、一旦帰宅します。そして息子の習い事が終わった夕方、再び釣り場に行くことにしました。

これは2回目。韓国焼酎の容器で作った氷が薄くて便利!

私は30年ぶり、嫁も20年ぶりの釣りで、しかも糸の結び方などは全くの素人。ネットで拾った情報を元にリールを竿につけ、サルカンと仕掛けを組み上げて、サビキの餌かごにアミエビを詰め、投げてみます。
何度かやっていると、アジやサバがちょこちょこかかります。これ以外にサッパ(ママカリ)がかかって、3時間ほどで20匹の釣果に。最後に釣れたサッパは20cmほどある結構大物で、持ち帰って捌き、翌日から2日で唐揚げやアヒージョにして食べてしまいました。

一番釣れた日はこんな感じでした

それから1ヶ月ほどして、嫁の出勤日の土曜日。息子に「釣りに行こうか?」と聞いてみると、「行きたい!」とのことだったので、二人で朝から釣り場に向かいます。猛烈に暑い8月の夏の日だったので、釣り場はそんなに混んでおらず、2人で釣りの準備をしていると、早朝から来てクーラーボックスがいっぱいになったから帰る、というご家族に餌を頂いてしまいました。

サッパ(ママカリ)はフライにしても美味しい

釣り始めると、この日はいわゆる入れ食いとか爆釣れと呼ばれる状態で、サビキを入れるとすぐサバがかかる状態。一方で、息子はリールなしの仕掛けだけの竿を用意したところ、息子の竿にはアジばかりがかかるという面白い現象になりました。
もっとも、私の竿にもアジやカタクチイワシもかかりましたし、息子の竿にもサバがかかったので、いわゆる「サビキ三兄弟」と呼ばれる魚は一通り釣れたことになります。これと共に、サッパも釣れて、この日持ち帰った魚は78匹で、半数強がサバでした。
もちろんこちらの魚もその日の晩から食べ始め、食べきれない分は味付けして冷凍するなどして、結局1ヶ月もしないうちに全部食べてしまいました。

その後、11月末に最後の釣りに行くまで、ほぼ毎月釣りに行くようになり、毎回アジ、サバ、カタクチイワシに、岡山あたりでママカリとして知られているサッパや、寿司ネタで有名なコノシロなどが釣れて、我が家の晩ごはんのおかずになりました。

カブトムシを採りに行く

息子は3歳ころから昆虫が大好きで、先日6歳の誕生日を迎えましたが、未だに昆虫が大好きなようです。冬は虫がいないのであまり楽しくないそうで、春になってテントウムシが出てくるとテンションが上がり、夏は一番楽しいシーズンのようです。

我が家は昨年採集したカブトムシが残した15匹の幼虫が無事に羽化し、保育園のお友達にもらってもらうなどしてオス2匹とメス3匹を残し、今年はカブトムシを採集に行かなくても良いはずでした。ところが息子は「今年も採りに行く」と言って聞きません。7月下旬に昨年と同じカブトムシのいる森に行ってみることにしました。

昨年は早朝に行ってみたのですが、今年は夕方遅く、日が落ちたタイミングを狙って森に入ります。遊歩道から少し離れた木に、カブトムシの来るクヌギやコナラと言った木があり、そこを探してみると、オスメス合わせて5匹ほど採集。それに加えて今年はコクワガタもオスメス10匹ほど採集できたので、息子は大喜びでした。

バナナトラップにカブトムシ発見!

8月に入って、もう一度採集に行きたい、ということだったので、今度は図鑑に載っていたバナナトラップを仕掛けてみることにしました。バナナトラップを夕方仕掛けて、一度山を降りて夕食、そして夜トラップに戻ってみると、バナナトラップにカブトムシが結構やってきていました。

結局、最初15匹の成虫が羽化したのと同じだけのカブトムシを飼育することになり、夏の初めに500個買っておいた昆虫ゼリーは夏が終わる前にカブトムシたちが食べてなくなってしまいました。
採集してきたカブトムシたちは、夏が終わる頃に順番に☆になって行きましたが、10月になって最後の1匹が☆に。幼虫も無事に回収できているので、来年もとりあえずは羽化させられるでしょうか。
息子の楽しみだった夏は終わり、冬に向かっていますが、来シーズンがすでに楽しみなようです。

息子の成長

息子が誕生してから6年、出生前診断で完全大血管転位症が見つかり、生後10日で手術を受けたものの、その後は問題なくすくすく育ってくれています。もしかすると何かの検索でこの独り言のようなブログを参照されることもあるかもしれないので、完全大血管転位で生まれた子供がどう育つのか、という事例として紹介してみたいと思います。

まず、手術は12時間くらいかかりました。ジャテン手術と言われる、大血管スイッチ術で、一般的に完全大血管転位ではこの術式が多いようです。朝9時に手術室に入って、手術が始まったのが執刀医の説明ではお昼頃、終わったのが日が変わるくらいでした。心臓を止めて人工心肺を使う大規模な心臓手術です。
術後1週間は開胸したまま麻酔下に置かれ、その後循環器が正常に働いていることを確認して、閉胸、麻酔を徐々に下げていき、意識回復となりました。結果的に生後1ヶ月を病院で過ごして退院。一時期は声が出ないんじゃないかとか、いろいろありましたが、結果的に何もなかったようです。

退院からしばらくは、病院への通院が続きます。その時に血液検査があり、心不全の指標数値のBNP値がずっと高いのですが、通院するたびに数値が下がっていき、通院は年2回にまで減りました。

一方で、3歳の検診で視力に問題がある、ということが分かり、こちらは最終的に眼鏡をかけることになりました。弱視、乱視とのことで、現在は矯正視力で1.0見えているようですが、最初は右目の視力が0.3くらいだったようです。


それを除くと、通院していることと、胸に大きな手術の跡が残っていることを除けば、ほぼ普通の子と同じ成長をし、1歳5ヶ月からは保育園に通常保育(医療的ケアは一切なし)で行くようになり、普通に保育園で他のお友達と同じように生活しています。

保育園以外ではスイミングスクールに1歳から行き、最初は親と一緒に入るベビースイミングだったのが、現在はキッズスイミングで親はギャラリーで見ているだけになりました。年長さんになってからはスポーツクラブにも行くようになり、スポーツに関しては全く制限なくできています。主治医に聞いたところ、現在の状況であれば、小学校での体育の授業も制限なしで行けるとのことで、一番問題になりそうな部分はあまり気にせず何とかなっているようです。

そして気がつくと昆虫を中心にした生き物に興味を持ち、ウルトラマンと怪獣を戦わせるのを楽しんでいたり、お友達と走り回ったりして、普通に成長していることを実感します。
先日、心臓病の子供のための心臓病教室に参加したところ、完全大血管転位症でジャテン手術を受けた子は、ほぼほぼ普通に成長するようになっているとか。そんな訳で、この6年の成長についてつらつらと書いてみました。

息子と2人で仙台とんぼ返り旅行

うちの嫁様は月に1~2回、土曜出勤があり、基本的には息子と二人でスイミングスクールに行き、マクドナルドで昼食を取って、その後適当に夕方まで遊ぶ、と言うスケジュールになります。
一方で、JALが2023年4月まで運航するJALユニバーサルスタジオジェットには、青森旅行の時から乗りたい乗りたいを繰り返しており、何とか乗ることを模索していました。ある日前日の運航調査で、伊丹~仙台~新千歳~仙台~伊丹の運用に入ることを発見。飛行機が新千歳を往復してくる間仙台に滞在するショートトリップを企画、航空券をマイレージで発券して出発することになりました。

1日の日帰りなので、車で空港に行き、駐車場へ。セキュリティチェックを通過してラウンジで出発を待ちます。息子はジュースが無制限にもらえるのでテンションが上がっていました。出発時刻が近づいたのでゲートに向かうと、待望のユニバーサルスタジオジャパンジェットが待っていました。

機内は座席カバーがすべてUSJ仕様になっているくらいで、大きな変化はありません。機内アナウンスで「ユニバーサルスタジオジャパンジェットで運航します」とは入ったものの、それ以外に機内サービスのコップがUSJ柄なのを除けば演出は全くなく、ちょっと拍子抜け。
いつもの「今日もライト」でRW32Rを離陸し、いつもの東北に向かうフライトが通る日本アルプス上空へと向かっていきますが、今日は天気がイマイチで景色は楽しめなさそう。息子は持ってきたタブレットで動画視聴タイムでした。

定刻に仙台に到着。仙台空港アクセス線の電車に乗ろうかと思っていると、仙台市内へのバスがある、と言うことで乗ってみます。運賃は500円で、アクセス線に乗るより安いのですが、時間は少し長い感じでした。

仙台駅に着いて、恒例のお寿司タイム。息子と二人でアラカルトで食べ、まあまあの金額を支払ったのですが、帰宅後に嫁に「私だけ食べてない!」とキレられてしまいました(^_^;)普段結構好き嫌いの出てきた息子は、次々と出てきた寿司を平らげていたので、仙台の寿司は美味しかったようです。

その後は息子待望の新幹線を見に行く時間です。「はやぶさ」と「こまち」が見たい、と言っていて、念願のE5系とE6系の連結しているところも見られたので、テンションマックスまで上がっていました。
その後、「やまびこ」のE5系とE2系も見られて、息子は大満足だったようです。30分ほど新幹線のホームに居ましたが、「もう帰るの?」と聞かれるくらいでした。

帰りは仙台空港アクセス線の電車で空港へ。仙台空港駅にあったガチャガチャをした後、セキュリティチェックを通過してラウンジへ。仙台のラウンジは規模が小さいものの、発着がそれなりにあるおかげで運営してもらえるのはありがたい限りです。

帰りもJALユニバーサルスタジオジェットでしたが、クルーの皆さんは新千歳で交代してきたとのことで、往路と違うCAさんでした。
帰りも天気がイマイチなので、息子は動画視聴タイム。私も機内誌を読んだりして過ごし、帰りはRW32Lに到着。今回は車なのでそのまま空港から帰宅。息子は楽しかったようで、嫁さんに一日の出来事を喜々として報告していました。

心臓カテーテルアブレーション(経皮的カテーテル心筋焼灼術)体験記

先月、タイトルの手術を受けました。いわゆる心臓のカテーテル手術で、不整脈の原因部分を、心臓の筋肉を焼くことで治療する、と言う手術です。私自身、術前にこの手術を受けた先輩諸氏のブログやら、病院のホームページやら、果ては症例報告まで読み漁り、当日を迎えました。私の体験も誰かの役に立つかも、ということで、体験記を書いてみました。以下、各記事へのリンクです。

カテーテルアブレーション~プロローグ

カテーテルアブレーション~1日目

カテーテルアブレーション~2日目

カテーテルアブレーション~3日目

カテーテルアブレーション~4日目

カテーテルアブレーション~5日目&6日目

カテーテルアブレーション~エピローグ

カテーテルアブレーション~エピローグ

退院して帰宅した晩、再び発熱。翌朝には下がっていたので出勤したものの、やはり6日間入院していたり、いくらカテーテルとは言え心臓の手術を受けているので負担があったようで、夜になって再度発熱。翌日会社を休み、病院に行こうとして電話をしてみると、全く電話がかかりません。仕方がないので、かかりつけのNクリニックに市立病院から渡された治療内容を書いた資料を持って行くことにしました。

Nクリニックでは熱があったので別室へ、ということで隔離されてしまいます。熱の原因は明らかにカテーテル手術でコロナではない、と断言できるのですが、こればかりは仕方がありません。
N先生が一通り書類を読んで診察をしてくれ、最終的には「市立病院に行ったほうがいい」ということでした。N先生に朝から電話がかからないことを話すと、「僕も用事があってかけてるんだけどかからない。循環器内科の直通番号とか聞いてない?」と聞かれる始末。N先生は「市立病院に直接行って、受付で交渉したら診てもらえるかもしれない」ということで、その足で市立病院に向かいます。

市立病院の受付で、電話がかからないからとりあえず来たこと、手術で2日前まで入院していたこと、手術が原因の熱が出ていることなどを伝えると、とりあえず循環器内科へと繋いでくれることになったよう。
しばらくするとT先生が通りかかったので声をかけます。「私も今、外来から呼ばれたんですけど、ぢょーんづさんだったんですね」とおっしゃられたので、状況を説明したところ、外来をどうするか調整してくれることに。

ところが発熱があった以上はコロナを疑え、と言うことでPCR検査を受けて、陰性でないと外来に入れない、とのこと。迎えに来た看護師さんの後をついて発熱外来に行き、屋外のエアコンはついているけど明らかに隔離感たっぷりのコンテナの中で、検査の検体採取を待ちます。

しばらくして順番が来たので検体採取。前回の入院前と全く同じで、鼻の奥から検体を回収するスタイル。再びコンテナに戻され、検査結果が出るまで1時間半程度、隔離されたまま待ちます。こんなこともあろうかと、モバイルバッテリーとイヤホン持ってきて正解だった(^_^;)

1時間半を少し過ぎた頃、T先生がやってきて、「検査陰性だったので、これから診察しますね」と声をかけてくれます。その後看護師さんがお迎えに来て、ようやく内科の外来エリアに入れてもらえました。
T先生によると、おそらくカテーテルアブレーションによる心膜炎が続いており、それで発熱しているのでしょう、とのこと。結局アスピリンが追加処方されて終了でした。

カテーテルアブレーション手術自体は、想像しているよりもずっと身体的な苦痛が少なく、術後の一晩が少ししんどいことを除けば、特に大変だったという感じはありませんでした。術後の合併症としては、

・心膜炎による発熱が数日続いた
・全身に原発不明のじんましん(皮膚科の医師が調査してくれたが不明だった)
・軽度の食道炎(おそらく焼灼の熱による)

くらいでした。カテーテルを入れた傷口の痛みも少なく、尿道バルーンもほとんど痛みを感じることもありませんでした。
退院した週は、発熱などもあったので、かなり仕事をセーブした感じになりましたが、翌週以降は普通に働くことができ、心臓の手術を受けているにもかかわらず、身体への負担はそこまで大きくなく終わった感じがします。

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カテーテルアブレーション~5日目&6日目

カテーテルアブレーション~5日目&6日目

再び明け方に読書灯点灯。おいおいおい、また心電図外れたのかよ、と思いつつ、看護師さんに貼り替えしてもらってそのまま寝てしまい、結局目が覚めたのは6時半。病院生活は規則正しく進んでいきます。

8時に朝食。その後ローソンでコーヒー購入と、完全にサイクルが出来上がってきています。その後は動画視聴して、散歩に行って、というサイクルで1日を過ごすことになります。

そして5日目が過ぎ、6日目。
午前6時に看護師さんに叩き起こされます。また心電図が外れたか、と思っていたら、血液検査。この結果を見て、退院するか否かをT先生が判断する、とのことでした。

その後結局7時過ぎまで寝てしまい、8時に朝食。検温も平熱だったので特に問題なさそう。
看護師さんが、コロナで発熱外来に来る人が多くて、病院がパンクしかかっている話を教えてくれます。これが後々私にも降り掛かってくるとは、私も思っていなかったのですが・・・

一応退院する準備はしておき、使った衣類やタオルなどを片付けます。9時過ぎにT先生の回診。血液検査の結果は問題なく、退院で問題ないでしょう、との判断。その後、病棟事務の方から明細書が渡され、昼食を食べたら退院、とのこと。

最後の病院食を食べ、てっきり看護師さんがお迎えに来ると思っていて待っていたら、実はこちらから声をかけないといけなかったらしく、それだけで30分ほどロスすることになってしまいました。
お世話になった病棟のナースステーションでお礼を言って退出、会計で入院費を支払い、書類センターで医療保険のための診断書の作成依頼を済ませて帰宅。6日ぶりに「娑婆」に出てきました。

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カテーテルアブレーション~4日目

カテーテルアブレーション~4日目

明け方、枕の上の読書灯が点灯して目が覚めます。「心電図モニタが外れたので取り付けますね」と看護師さん。後日聞いたところ、どうも信号が受信されなくなるとエラーが出るらしく、日中であれば部屋にいるかどうかの確認をすることである程度把握できるそうですが、夜間は確実に部屋に居るので、外れただけか、心停止しているか、確認が必要とのこと。

その後、6時半に起床。アスピリンが効いてしまったので熱はなく、本来なら今日で退院予定ですが、延期になったので病院滞在があと2日ということになります。8時に朝食。午前中の検温と、T先生の回診。熱が下がったことを伝えると、そのまま薬を飲み続けてみてください、とのこと。「国民の僕」もいよいよシーズン1があと3本で見終わるところまで来ました。ずっとウクライナ語だと思っていたセリフ、実はロシア語だったらしく、自分の知っている単語が結構出てきたのはそういう訳だったのか、と納得。

12時に昼食が来て、その後はまた退屈な時間です。特にすることもないので、病院内自由とのことで院内を散歩。土曜日で外来のエリアが閉まっており、動ける範囲は限られるのですが、ローソンで売られている商品を眺めてみたり、レントゲン室のあたりまで入れるのでそこまで歩いて行ってみたり、ちょっとしたリハビリを兼ねてうろうろ。スマホの万歩計で3日ぶりに6000歩を超えるまでになりました。

再び部屋に戻り、残り1本になった「国民の僕」のシーズン1を見終わります。その後、SNSへの報告を書いていると、嫁が着替えを持って病棟の外にやってきました。息子も父親が何日も家にいないので、寂しくなったそうで一緒についてきました。適当に入れてきた、というパジャマやらTシャツやら見てみると、普段全部自分でやっていることもあって、嫁が服のクラス分けを全く理解していない(^_^;)パジャマじゃないズボン(一応外行き用)やら、病院で着るにははずかしいTシャツやら混在。このあたりを使わずに、手元に持っている衣類と合わせればなんとかあと2日はなんとかなりそう。

嫁と息子が帰ると、もう夕食の時間です。夕食の後、夜勤の看護師さんによる検温までは特に何もイベントはありません。SNSへコメントが入っているのでそれに返信。すると、「恋は続くよどこまでも」というドラマで、カテーテルアブレーションが出てくる、とのことを教えてもらったので、それを見てみることにします。
その回だけダウンロードして視聴。ドラマのアブレーションは局所麻酔でやっていたのが衝撃的。全身麻酔で寝ているうちに5時間が過ぎたことを考えると雲泥の差でした。あれ、起きてやってたら逆に怖かっただろうな・・・

本日も22時30分に就寝。

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カテーテルアブレーション~3日目

カテーテルアブレーション~3日目

朝7時前、夜勤のIさんというベテランの看護師さんがやってきて、「あとちょっとでY先生が来るから頑張って!」と励ましてくれます。Y先生がやってくる時間は気まぐれだけど、7時半には来るんじゃないかな、とのこと。
7時半、Iさんの言っていた時間にY先生がやってきて、鼠径部の圧迫解除と抜糸をしてもらいます。尿道バルーンもここで終了で、「看護師さんに抜いてもらえるように言っておきます」と去っていかれました。
尿道バルーンはIさんが抜管してくれるとのことで、「1,2,3で息吐いて~」と言われた通りにすると、するっと抜けておしまい。前日の昼前からずっと入っていた左手の点滴も外れ、これで「無罪放免」となりました。血液検査も必要とのことで採血もしてもらい、検温もしてもらうと、まだ熱があるようです。Iさんが「解熱剤持ってきますね」とアセトアミノフェンを持ってきてくれたので、とりあえずそれを飲みます。


ほぼ24時間ぶりの食事ですが、点滴も入っていたり意識も朦朧としていたせいか、そこまで空腹でもなく、出されたものを完食して十分と言った感じ。

午前中にレントゲン撮影をしてください、とのことで、Iさんが車いすで連れて行ってくれる、とのこと。1階のレントゲン室で胸部X線撮影をすると、今日しないといけない検査は終了ということになります。

水とお茶以外は主治医の許可が必要、とのことで、スポーツドリンクだけ許可をもらっていましたが、Iさんにコーヒーが飲みたい旨を伝えると、「T先生に聞いておきます」と言って、ほどなくして「OK出ましたよ」と教えてくれました。その後、T先生がやってきて、「特に制限しませんので、アルコール飲料以外は飲んでもいいです」と許可をもらえました。
速攻院内ローソンに行き、アイスコーヒーを購入。まだ体調が戻っていないせいかそこまで美味しくはなかったものの、久しぶりにコーヒーを飲めました。

昼食後熱を測ってみると、やはり38℃近い状態。朝晩しか看護師さんは来ないので、ナースコールをして相談することにします。T先生に聞きます、とのことで夕方再びT先生がやってきます。熱が下がらないのは心配なので、とりあえず入院は2日延長して月曜日までにすること、カテーテルアブレーションが原因の心膜炎と思われ、数日で症状はおさまるのではないか、とのことでした。解熱剤処方しておきます、とのことで、その後夕食前にアスピリンが届きました。

夕食後にアスピリンを飲むと効果てきめん。体温はあっという間に平熱に下がり、再び「国民の僕」を見て過ごします。入院延長になってしまったので、急いで見る必要はないのですが、シーズン1も残すところあと数回のところまで来たので、退院までには見終わりそう。

22時30分頃就寝。入院すると生活が規則正しくなるようです。

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カテーテルアブレーション~2日目

カテーテルアブレーション~2日目

6時半頃起床。朝から絶食だと思っていたら、朝食は食べても良い、とのことで朝食が出てきました。この後夜まで絶食になるので、とりあえず食べておくことに。9時までは水分補給してよい、との指示だったので、ギリギリまで麦茶を飲んで水分補給。
11時頃、昼勤の看護師さんがやってきて、手術時間が予定より1時間ほど早まったので、12時10分に手術室に入ってください、と連絡が。これを見越して、11時30分頃、手術着にに着替え、パンツをT字帯に履き替えします。尿道バルーンは麻酔下で入れるとのことで、点滴のルートだけ左手に確保、これを専用のカートで持っていく形になりました。
嫁には手術時間が早まったことを連絡すると、すぐに来る、とのこと。手術室に向かう途中でちょっとだけ面会。もしかすると嫁に会うのはこれが最後になるかもしれないな、なんてことも思いながら、手術室へと向かいます。

手術室はCTを使う関係からか、普通の一般的な手術室のイメージよりも、CTの部屋と言った雰囲気でした。手術室に入るとすぐにベッドに寝かされて、準備がテキパキと進みます。一通り準備が終わると、M先生が「麻酔入れます。少し痛いですよ。」と言われ、「あーたしかに痛いです」と言った後、全く記憶がなくなりました。

くまのプーさんが出てくる不思議な夢を見ていると、「終わりましたよ」とT先生の声と、嫁の「大丈夫?」の声が聞こえてきました。時間を聞くと午後5時とのこと。その後、全く意識がなく、きちんと意識が戻った時は、病室で寝ていました。

後日頂いた隔離箇所のデータ。不整脈は全く出なくなりました。


しばらくすると看護師さんが来たので時間を聞いてみるとと、午後7時だそう。腰が痛く、なんとなく吐き気もあったので、その旨を伝えると、嘔吐対応をしてくれました。腰が痛いのは、圧迫している間は我慢しないとダメだそうで、あと2時間がんばってください、と励まして去っていかれました。
もっとも、麻酔がまだ切れてないのか、鎮静剤が入っているのか、とにかく眠いのです。次に目が覚めた時は午後9時。ここで腕と首の圧迫が外れます。太ももの圧迫は明日の朝まで、とのこと。この時点でベッドを起こすことができるとのことで、起こしてもらうと腰痛が解消。ここでメガネをかけさせてもらい、スマホの使用も解禁。とりあえず手術が終わったことだけ会社に連絡しておくことにします。
しばらくすると今度は寒気がするので、ナースコールをして看護師さんに来てもらいます。検温すると38℃ある、とのこと。喉も乾いたので水をもらい、時間を聞くと、午前0時半だそう。3時間ほど寝ていたようですが、寒気に対しては布団をもう1枚もらうくらいしかできないので、布団を追加してもらったら収まりました。
その後1時間おきくらいに目が覚め、看護師さんの点滴交換で目が覚め、そのついでに水をもらい、うつらうつらしながら起きているのか寝ているのかよく分からないまま過ごしていると、夜が明けて来ました。

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カテーテルアブレーション~1日目