食堂車

食堂車

高校時代は親元を離れており、長期の休みになると新幹線を利用して帰省していた。当時の新幹線は、博多行きのJR東海の車両が使用される一部のひかり号のみ100系で、あとは全列車0系であった。その後、JR西日本がグランドひかりを投入するようになって、100系を使用する列車は増えたが、いずれにせよ0系に乗ることが多かった。

当時の0系は食堂車のついたひかり編成が16両、食堂車のないこだま編成が12両だったと記憶している。こだまは利用者が少ないので12両に減車になったり、指定席が2&2シートになったりしていて、当時はまだ利用者を増やす努力がなされていたと思う。

私がよく乗っていたのは0系ひかりで、8号車に食堂車が連結されていた。当時の食堂車は日本食堂、都ホテル、帝国ホテルの3社が営業していて、一部のひかり号はそば・うどんしかサービスしない、という列車もあった。
なぜか私がよく使う時間帯の列車は、そのそば・うどんの列車であり、いつ乗ってもそれ以外のメニューが食べられないのであった。
値段がどれくらいであったか忘れてしまったが、1500円も出せば食事ができた訳なので、すこぶる高い金額ではなかったと思う。

食堂車は、0系の置き換え用に製造された100系から、「カフェテリア」と呼ばれる売店に変わり、「のぞみ」が登場すると、カフェテリアすらなくなってしまった。今や車内販売すらない列車も増えており、JRの供食サービスは低下するばかりである。乗る前にコンビニや売店で買ってくれ、ということなのだろうが、日本の鉄道は旅情というものがなくなってしまったと思う。

以前はヨーロッパの特急列車に乗ればほぼ必ずと言っていいほど連結されていた食堂車も、ここ最近はビュッフェ程度に縮小されたり、日本と同じように連結されなくなってきているらしい。世界的に食堂車は縮小傾向と言えるのだが、まだ食堂車が比較的連結されている国がある。

10年ほど前、ロシアでシベリア鉄道に一晩だけ乗る機会があった。本来ならロシア号のウラジオストク~モスクワに乗るべきなのだが、私が乗ったのはオケアン号という、ウラジオストクからハバロフスクまで一晩で走る列車であった。
こんな一晩しか走らない列車でも、ロシア国鉄はきちんと食堂車を連結し、営業していた。ロシアでも値段が高い食堂車を使う人は年々減少しており、やはり乗る前に食べ物を買ったり、長時間停車する駅で調達したりするらしい。

食堂車というサービスはだんだん縮小されてきているのが現状だが、一方で最近は風景を楽しみながら食事を楽しむという列車がJRを中心に運行されているらしい。食堂車扱いになっている列車もあると聞くが、もう少し定期列車の食堂車について、復活させることをJRは検討するべきところに来ているのではないかと思う。尤も、そんな長時間の列車に乗る機会は、もはやないのかもしれないが。

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