香港で海鮮を食べる

私の海外旅行先で最も回数が多いのは、間違いなく香港である。さすがに昨年は行かなかったが、ほぼ毎年香港に飛んでいるし、現地にも複数の友人が居て、私自身の居心地も良いとくれば、行かない方が稀なケースになってくる。しかも最近はLCCの就航で航空券価格は下がっており、マイレージでも空席が出やすいことに加え、異国情緒も十分にあるので、手ごろに行くには本当に良い目的地になる。

さて、香港に行ったところで、観光するところは皆無に近い。では何が楽しみに香港に行くか、と言われれば、食事である。ホテルも朝食なしで予約をして、朝から現地のローカルフードを楽しむのだが、その中で私自身が「お金をかけて食べる」場合にセレクトするのが海鮮であろう。

レストランはいくつかあって、ロブスターのバターチーズソース炒めのような、中華料理ではなさそうなものを売りにしているところもある。これはこれで好きなのだが、中華料理らしい海鮮となると、海辺のとれたてを調理してくれるところが良い、ということになる。
具体的には鯉魚門や西貢などが有名だが、もちろん街中にも新鮮な海鮮を出してくれるレストランは沢山ある。

香港では、蝦は生きているものを調理していないとダメだそうで、観光客相手のレストランなどでは、水揚げから時間がかかって、すでに死んでいる蝦を出しているところもあるとのこと。鯉魚門や西貢のレストランでは、店の前の生け簀から食材を選んで調理してもらうので、鮮度については折り紙付き、ということにもなる。

いろいろ食べて、1人300~400香港ドルくらい。日本円で5000~6000円くらいで、絶品の海鮮中華料理が楽しめる。日本で食べたら1人1万円コースになってしまうので、それを考えれば、香港で海鮮中華を食べるのは止められないのであった。

子供の成長記録で思うこと

昨年(2018年)のお花見は、首が座ったばかりの息子を連れて、ベビーカーであちこちにお花見に行ったのだが、今年はベビーカーにこそ乗せてはいるが、息子本人は歩き出しており、お花見に行った先では、歩けることが楽しいのか、あちこちで歩き回っていた。
こうして1年が無事に過ぎてみると、子供の成長は実に早いことを実感する。昨年の今頃は、息子は首が座ったことを除けば動ける状態にはなく、まだ授乳をしており、離乳食すら始まっていなかったのだが、今年は自力で歩けるようになっており、食事を自分でスプーンや手を使って食べられるようになっている。

一方で、こうして写真を撮影したりして記録を残しているのだが、やはり動画や音声の記録があまり残せていないことに最近気が付いた。今時はカメラどころかスマホで動画が撮影できるのだが、嫁も私もそこまで意識して動画を撮影して来なかったので、おしゃべりの内容によっては、記録できなかったものもあるし、ズリバイの時期の動画も残っていない。
最近は食事中のスプーン操作や手づかみ食べ、ハイハイなどの映像は残すことができているが、やはりとっさに出てくるシーンで、カメラやスマホでの動画撮影をする間もなく、息子が動作を止めてしまうことも多い。

さらにこの先の1年になると、きっと意味のある言葉をしゃべったり、歩き回ったりするようになるのだが、そうなると今のようによちよち歩きの動画も記録しておかねば、と思うようになる。

便利な機能はたくさんついている今時のカメラ&スマホだが、やはり「いつでも撮影できるスタンバイ状態」は作っておかねばならないのかもしれない。

寝台車

食堂車の話を書いたついでなので、寝台車の話も書いてしまおう。
私が最後に乗った寝台車は、日本では急行「きたぐに」の新潟-大阪間であった。電車三段式の開放寝台車で、正直時代錯誤の寝台列車ではあったのだが、電車三段式に一度も乗ったことがなかったので、両親が仙台に住んでいるうちに、と思って、仙台から新潟を経由して大阪まで、583系のパンタグラフ下の中段という、かなりマニアックな寝台で一晩を過ごした。

寝台車の寝台料金は、電車三段式で上段と中段は5250円で下段が6180円だったと思うのだが、これに運賃と急行料金が加算されるので、新潟~大阪間の合計は結構な金額になった。しかし、一晩ぐっすりと、まではいかないにしても、夜行バスの座席に座るよりかは身体の負担は少なく、翌日も朝から普通に活動できている。

現在、日本国内で寝台車を利用できるのは、高価なクルーズトレインを除けばサンライズ出雲・瀬戸のみになっている。この電車もすでに登場から20年が経過しており、おそらく現在車両を保有しているJR西日本と東海のうち、東海はもう次の車両は作りたくないであろうから、車両の老朽化と同時に廃止される公算が高い。

しかし、寝台列車を含め、まだ需要はあるのではないだろうか。高速バスがあれだけ盛況なのに、JRは夜行列車をどんどん縮小してしまっている。私も夜の時間に移動してしまうことを選択しない訳ではないが、やはり現在の高速バス主体の夜間移動はあまり想定しない。

一方で、寝台列車がまだまだ走っている国も存在する。中国、ロシアなどがその代表だろうか。急行「きたぐに」の後で、ロシアの寝台車に乗る機会があった。前回記事の食堂車を利用したウラジオストク~ハバロフスクのオケアン号である。1等2人用個室を使ったので、非常に豪華な移動になったのだが、この寝台車は実によく眠ることができ、快適であった。こういう列車があれば、私自身の移動に組み込むことも考えられる。

さすがにウラジオストクからモスクワまでの5泊6日のロシア号の旅は苦痛かもしれないが、寝台車という選択肢は、日本の鉄道においても、まだ残しておいて欲しいものである。いや、もっと拡大することはできないだろうか。

食堂車

高校時代は親元を離れており、長期の休みになると新幹線を利用して帰省していた。当時の新幹線は、博多行きのJR東海の車両が使用される一部のひかり号のみ100系で、あとは全列車0系であった。その後、JR西日本がグランドひかりを投入するようになって、100系を使用する列車は増えたが、いずれにせよ0系に乗ることが多かった。

当時の0系は食堂車のついたひかり編成が16両、食堂車のないこだま編成が12両だったと記憶している。こだまは利用者が少ないので12両に減車になったり、指定席が2&2シートになったりしていて、当時はまだ利用者を増やす努力がなされていたと思う。

私がよく乗っていたのは0系ひかりで、8号車に食堂車が連結されていた。当時の食堂車は日本食堂、都ホテル、帝国ホテルの3社が営業していて、一部のひかり号はそば・うどんしかサービスしない、という列車もあった。
なぜか私がよく使う時間帯の列車は、そのそば・うどんの列車であり、いつ乗ってもそれ以外のメニューが食べられないのであった。
値段がどれくらいであったか忘れてしまったが、1500円も出せば食事ができた訳なので、すこぶる高い金額ではなかったと思う。

食堂車は、0系の置き換え用に製造された100系から、「カフェテリア」と呼ばれる売店に変わり、「のぞみ」が登場すると、カフェテリアすらなくなってしまった。今や車内販売すらない列車も増えており、JRの供食サービスは低下するばかりである。乗る前にコンビニや売店で買ってくれ、ということなのだろうが、日本の鉄道は旅情というものがなくなってしまったと思う。

以前はヨーロッパの特急列車に乗ればほぼ必ずと言っていいほど連結されていた食堂車も、ここ最近はビュッフェ程度に縮小されたり、日本と同じように連結されなくなってきているらしい。世界的に食堂車は縮小傾向と言えるのだが、まだ食堂車が比較的連結されている国がある。

10年ほど前、ロシアでシベリア鉄道に一晩だけ乗る機会があった。本来ならロシア号のウラジオストク~モスクワに乗るべきなのだが、私が乗ったのはオケアン号という、ウラジオストクからハバロフスクまで一晩で走る列車であった。
こんな一晩しか走らない列車でも、ロシア国鉄はきちんと食堂車を連結し、営業していた。ロシアでも値段が高い食堂車を使う人は年々減少しており、やはり乗る前に食べ物を買ったり、長時間停車する駅で調達したりするらしい。

食堂車というサービスはだんだん縮小されてきているのが現状だが、一方で最近は風景を楽しみながら食事を楽しむという列車がJRを中心に運行されているらしい。食堂車扱いになっている列車もあると聞くが、もう少し定期列車の食堂車について、復活させることをJRは検討するべきところに来ているのではないかと思う。尤も、そんな長時間の列車に乗る機会は、もはやないのかもしれないが。

ぶらり出雲の旅

昨年のちょうど今頃、日帰りで出雲空港を往復した。朝一番のフライトで出雲に飛び、午後3時出雲発のフライトで帰宅するというスケジュールだった。出雲まで行ったのは、退役間近の機体に乗るつもりがあったからだが、一方で帰りのフライトまでの時間はかなり余裕があった。

さすがに空港で撮影するにしても、出雲空港のトラフィックは限られる。Google Mapで検索をかけ、日御碕灯台まで車を走らせてみることにした。春先の出雲は天気もよく、ドライブには好適であった。1時間ほど車を走らせたであろうか、日御碕神社まで到着した。

季節が良くなってきていたので、結構観光客が多かった。神社に参拝し、日御碕灯台まで行った。現地の滞在時間は1時間ほどだっただろうか。その後、車を走らせて再び出雲空港に戻って、伊丹空港へと飛んでいる。

普段、仕事で日帰りのフライトをすることは多いが、久しぶりにあてのない日帰り飛行機旅行であった。