コロナ禍半年

コロナ禍になって半年。職場の勤務体制は6月以降は通常に戻ったので、仕事もほぼ通常モードなのですが、従来出張であちこち行っていた生活が一変し、現在はほぼ終日内勤になっております。毎週飛行機に乗っていたのが、気が付けば飛行機にはほとんど乗らず、伊丹以外の空港にもほとんど行かず、となってしまい、どうも私の普段の生活については、著しく変化した、と言って良いのではないかと思っているところです。

内勤がほとんど、とはいえ、私自身は元々研究開発のセクションに居て、主体が技術営業だった訳ですが、技術営業の仕事がない間に、研究開発の仕事をしてしまえ、と言うことになる訳です。そうなると、たまっていた実験計画の予備調査を始め、実際に実験を動かせるようになるまでが2-3カ月と言ったところ。そこかれ実際に実験結果がある程度出るのがさらに2-3カ月で、現在ようやくここまでやってきた感じになっています。
結果的にはコロナ禍で、たまっていた仕事を一気に片づけている、とも言える訳ですが、コロナで自宅待機や在宅勤務は(仕事しなくていいから)余裕ですよ、なんて言ってた知人がいましたが、私は全然余裕もなく、普段よりも仕事をしていた部分が大きかったです。
職場もこの状況になってメールが自宅PCで見られるようにしてくれたり、テレビ会議システムを導入してくれたりしたので、出張に行かなくても顧客企業との面談などはできたりしますし、必ずしもすべてがマイナスだった訳ではありませんでした。

緊急事態宣言中も在宅と出勤を交互に繰り返しつつ業務をしていた訳ですが、大変なこともいくつかありました。一つは息子の保育園。緊急事態宣言中は特別保育体制に切り替わる、とのことで、基本的に医療従事者などの子供に限って保育する、というスタンスに。私たち夫婦は該当の仕事でもありませんし、在宅勤務に切り替わったので、自宅での保育になりました。
ところがこれが一番大変で、2歳児にいくら言ったところで聞く耳は持っていません。晴天なのをいいことに、自宅の庭に出しておいたのですが、息子もずっと庭で遊べるほど成熟していませんので、10分、よく頑張っても15分で「おかあしゃ~ん」と戻ってきてしまいます。正直、全くと言っていいほど仕事になりません。よく「在宅勤務だから自宅で保育できるでしょ」なんて言う人がいますが、実際1歳、2歳の聞き分けのない子供を自分で保育してみたらいいと思います。同じ保育園のお母さんに何度か道端で遭遇したので聞いてみましたが、やっぱり「在宅勤務で自宅保育だと仕事にならない」と言っていました。
嫁さんの会社も在宅勤務になりましたが、こちらは嫁さん一人だけが対応。結局、息子に妨害されて仕事にならないので、私が仕事の手を止めて息子の相手をすることになりました。もちろん、息子は私よりも嫁さんなので、すぐに「おかあしゃ~ん」になってしまうのですが・・・

緊急事態宣言が明けた後、保育園は再開、私たち夫妻の職場も順次元の勤務体制へと戻ることになりました。ここで再度問題が発生。息子を保育園に連れて行こうとすると、「ほーくえんいきたくない」とか言い出します。結局1週間くらいの間、愁嘆場を繰り返すことになってしまいました。さすがに1週間くらいでこちらは元に戻り、現在は「テレビを見ていて保育園に行きたくない」という意味で「ほーくえんいきたくない」と言いますが、実際に行ってしまえば毎日エンジョイしているようです。
他にも2ヶ月お休みになっていたスイミングスクールが、6月に入って再開されたのですが、以前は慣れてきて泣かなくなってきていたのに、再び怖がって泣くようになってしまいました。こちらも1ヶ月もしないうちに慣れてきて、最近は「おうちかえらないの」とか言うようになりました。子供の適応能力は結構すごいです。

現状、第二波がまだ続いている状況になってきていますが、この半年ほどですべてがガラッと変わってしまいました。この期間中にあったことで、少しでもプラスに働く要素が多ければ良いな、と思って日々生活をしています。

コロナ禍の自己記録(20年3月)

新型コロナウイルスの感染拡大で、自分の周囲も含め生活が一変してしまいました。その記録として、この記事を残しておきたいと思います。幸い、この記事を書いている時点では、少なくとも発症はしていませんし、おそらく感染もしていないと思うのですが、イレギュラーすぎることが多いので・・・

2月27日に政府から「全国一斉休校」が発表。職場はすぐに反応し、3月3日から「事務系は全員自宅待機」の指示が出ました。私も事務系勤務なので対象です。とりあえず翌日から出社する必要はなくなりますが、結構突然だったので、「自宅である程度対処できるように」と、USBメモリなどに必要なファイルを入れ、会社に持出届を提出して帰宅。
翌日から自宅待機開始ですが、期限のついた仕事はあるので、自宅で作業。ここで困ったのは、自宅のPCにパワーポイントが入っていないこと。結局、WPSライターの持っていたライセンスでインストール。中国製のOfficeは信用できない、なんて言ってられないので使用。そもそもそんな抜き取られて困る機密は扱ってないし(^_^;)
次に困ったのはメール。会社のネットワーク以外からは見られない状態。こんな状況なので、会社の貸し出し用の端末は幹部が持って行ってしまっているので、結局自宅待機と言いつつも、会社に行ってメールの処理をすることになりました。

2週間ほど会社に「用事がある時に行く」生活をしていると、会社から指示が来て、「感染者が出た場合に備えて班分けする」「基本は自宅待機だが出社できる場合は出社」「公共交通機関使用者は時間をずらせ、フルタイムでなくて可」と言うことになりました。出社は1日おき、私の場合は公共交通機関も使わないので、フルタイムで出社する形を取りました。
一方で、ユーザーのフォローは、ユーザーも「訪問お断り」でうちも「訪問は自粛」のため、その部分の仕事はごっそり抜け落ちます。代わりに忙しくて放置していた仕事を次々進めて行ける絶好の機会にもなったのは、数少ないメリットでした。

こうして3月は1カ月があっという間に過ぎてしまい、今までの週に1回は出張、と言う生活が一変してしまい、飛行機に乗りまくっていた生活が遠い昔に感じられるようになってしまったのでした。