体調不良

タイトルだけ読むと日記のような「今日調子が悪い」と言う話になってしまいそうだが、実はここ最近、過労が原因と思われる体調不良が続いており、このブログの更新もおぼつかないくらいの状態になってしまった。その原因を追究すると、こんな感じになる。

今年4月の辞令で部署移動になったのだが、その異動で仕事が異常なまでに増えた。出張も増えたので、恐ろしい回数の飛行機に乗ることになり、今年のJALのマイレージは、ステイタスが上から2番目の金色のカードをもらうほどになってしまった。ここまで出張したのは私も初めてである。昨年ですら青いカード止まりだった。もちろんこんな回数飛行機に乗るということは、それだけ家を空けていることにもなり、自宅で眠っていない日も多かった。ある意味ランナーズハイに近い状態になり、仕事もハイテンションでしていたのだが、一方で様々な体調不良に悩まされることになった。

一つは不整脈。薬をもらったのでなんとかなったが、最初はめまいなども起きており、薬を処方されるまでは不安であった。これに高血圧が加わった。加齢によるものもあったのだが、今年は明らかに仕事のストレスによるものであった。
これに加えて、明らかに免疫力の低下がみられるようになった。ウイルス性胃腸炎に数回、ほぼ毎月風邪を引くようになった。最悪なことに、中国への出張中に体調を壊し、何とか1週間の出張を乗り切ったが、体調を崩すことが増えてしまった。

これで後方支援が充実していれば良いのだが、だいたいこういう時は四面楚歌になっていることが多い。敵陣の中に自分の部隊だけが取り残されているのと同じ状態になっているので、結果的に前線からだけでなく後ろからも弾が飛んでくることになる。
さすがの私も肉体的だけでなく精神的にも参ってしまった。年末年始の休暇を少し長めに取ることにし、会社にはその旨伝えた。年明けに話を聞いてくれるそうだが、おそらく大した変化は起きないと思っている。

一体どうやって考えたらこんな仕事の配置になるのか謎だが、来年は救急車のお世話になるとか、入院するとか、そういう状態にだけはならないようにしたいと思っている。

27年目の上海

初めて中国に行ったのが1992年なので、27年前の話になる。当時、大学生協のツアーで神戸港から燕京号と言うフェリーで48時間かけて天津に向かい、その後夜行列車で瀋陽、空路で北京、その後南京を経て最後に上海に行くという14日間の行程であった。学生だったからそんなツアーに参加できたのだが、その後私自身はほとんど上海に行く機会がなく、2009年に一瞬上海に滞在したっきり、今年久しぶりに行ってみたら、ほぼ別の土地になっていた。

さて、その上海、27年前からあまり変わっていないところがある。いわゆる外灘と呼ばれるエリアと、当時の繁華街だった南京東路周辺である。尤も、外灘はもっと昔からその姿をほとんど変えていないし、歴史的外観を保持している地域なので、そういう意味ではあまり変化していないのは南京東路くらいかもしれない。

その南京東路も、1992年当時は車が走っていたのだが、かなり前に歩行者天国になっていたようだ。私自身の記憶にあった建物がそのまま残っていたので、おそらく通りそのものはあまり変化していないことが窺えた。
一方で、入っていた店はすべて変わってしまっており、当時は絶対に中国になかったアップルストアだのユニクロだのが入っている。確か私はこのあたりで二眼レフの「海鷗」と、シャツを1枚買ったのだが、今はその痕跡を探すことすら難しくなっている。

27年目の上海で、私自身の初中国訪問の痕跡を探すことができたが、当時同じツアーに参加した添乗員の方は20年近く前に亡くなられているし、ツアー参加者とももう連絡を取る術もなくなっている。27年と言うのはとんでもなく長い歳月なのだ、と言うことを実感する。
他方で、上海に駐在している日本人の友人とは、そんなに頻繁に会う訳ではないのだが、すでに20年以上の付き合いがある。今年は彼に2度会う機会があった。そういう意味で、長い歳月を経てまだお付き合いのある友人は大切にしないといけないと感じた上海でのひと時であった。