ベルリンの政治犯刑務所博物館

現在のドイツは、ドイツ連邦共和国という民主主義の国になっており、正直旅人として訪れるには非常に優しい国の一つであると思う。あらゆることがシステム化されている部分を見ると、やはりドイツの国民性ということを感じる。

ドイツはご存知の通り、1990年までは東西に分断された国家であり、ドイツ連邦共和国は「西ドイツ」、ドイツ民主共和国は「東ドイツ」と呼ばれていた。1990年に消滅したのは東ドイツで、ドイツ「民主」共和国とは名ばかりの、恐怖政治の共産主義独裁国家であった。

当時の東ドイツでは、市民による市民の監視が行われており、秘密警察シュタージという組織が存在していた。市民は別の市民をシュタージに密告し、その取り調べを行う、ということが日常茶飯事だったようだ。時には家族でさえ密告の対象だった、という。現代のドイツのシステム化を良い事例とすれば、悪い方向にシステム化された事例が、ナチスであり、東ドイツであると私は思っている。

シュタージは、当時密告があると、その当事者を取り調べている。取り調べは専用の施設が用意されており、そこで精神的に追い詰め、告白させるという手法が取られていたようだ。その様子は、映画「善き人のためのソナタ」に詳しく描かれている。

その映画のロケが行われたのが、ホーエンシェーンハウゼンの刑務所跡である。「跡」と言っても、博物館になっており、当時のままの建物と内装が残されている。内部の見学は見学ツアーのみ、基本的に30分のムービーと90分の内部見学、となっているらしい。

私が行ったのは今から12年前の2007年。内部は普通の建物なのだが、やはり何か違った空気感があり、ベルリンの市内にあるとは言え、不思議な感じがした。ここで数多くの、密告を受けた、罪のない人達が裁かれたかと思うとぞっとする。共産主義の遺構を見て回るのが好きな私だが、ここだけはこの一度の訪問以降行っていない。行きたくない、とでも言うべきか。

ベルリンの旧東ドイツ時代のアパートホテル

私自身ドイツは好きな国で、1991年に初めて訪問してから、すでに10回は行っている。正直、ドイツについては飛行機趣味よりも旅行趣味がメインになり、旧共産圏の遺構が関係すると、そこに必ずと言っていいほど行くことになる。
2011年の訪問で、タイトルのホテルに泊まることができた。

旧東ベルリン側に、アパートを改造したホテルがある、と聞いたのは、2008年頃だっただろうか。部屋が広いが、一方で共産圏時代の殺風景な部屋が特徴的、と言われて、泊まってみたくなった。旧東ドイツの生活の一片については、映画「グッバイ!レーニン」で描かれているが、そこに出てくるアパートと同じような部屋に宿泊できる、ということになる訳だ。

ただ、私の場合はタイミングの悪いことに、新婚旅行でベルリンに行く、という禁忌をしてしまった。嫁は共産主義の遺構にはあまり興味はなく、ホテルは1泊だけだったのだが、かなり評判が悪かった。尤も、印象は強かったらしく、後日ベルリンの東ドイツ風のホテル、ということでニュースが出てきたときに、「あの時のホテルってこれだっけ?」と聞かれた(違うホテルだったが)。

宿泊したホテルは、その後改装されてしまい、現在は普通のホテルの内装になってしまったらしい。ベルリンの壁が崩壊して今年(2019年)で30年、ドイツが統一して29年である。そういう意味では、2011年にこんなスタイルのホテルに宿泊できた、ということが奇跡的だったのかもしれない。

ベルリンのボロボロのS-Bahn

古い電車ネタからそのまま継続するネタになるのだが、ドイツの首都ベルリンにも、古い電車が走っていた。ドイツの主要都市には、S-Bahn(Schnell Bahnの略)と呼ばれる通勤電車が走っており、空港アクセス鉄道を兼ねていたり、市内の移動手段であったりする。ベルリンにもS-Bahnが走っているのだが、他の都市のS-Bahnと違い、第三軌条方式で、地下鉄のような雰囲気である。

今でこそ新しい電車が走っているが、1995年に初めてベルリンに行ったときは、戦前に作られた古い電車が、未だ東ドイツの雰囲気の残る駅を発着していた。ほとんどの電車が古い車両で運転されており、調べてみると大半が戦前の製造。車齢は50年から60年とのことであった。
旧西ドイツでは、S-Bahnの車両は1980年代から90年代に作られた新しい車両で運転されていた。他方、ベルリンの場合は、S-Bahn自体が東側の運用だったということもあるのだが、車両の更新が遅れており、1990年代でも戦前型の車両がつりかけモーターの音を響かせて走っていたのである。そして、木製シートの車両も走っており、大都会ベルリンも、まだまだ東西分断が色濃く残っていた時代でもあった。

さすがに2002年に訪問した時には、古いS-Bahnは一部を残して姿を消し、新しい車両が主体になっていた。結局私自身が最後に乗ったのも、この2002年の訪問時であったと記憶している。

現代のベルリンのS-Bahnは、すでに新型車両に置き換えられてしまっているのだが、1編成だけパノラマS-Bahnと呼ばれる列車用に改造された編成が生き残っているらしい。なかなかベルリンに行く機会には恵まれないが、東西分断の痕跡はずいぶんと薄れつつあるようだ。