息子の保育園通い

この春から息子が保育園に通うようになり、半年近くが経過した。本当は昨年の秋に保育園に入れたかったのだが、昨今話題の待機児童問題に我が家も巻き込まれ、結果半年待ち、ということになった。
新規開園の保育園だったので、未だにいろいろなことが試行錯誤している感じはするのだが、一方でそれが良い方に働くこともあって、幸いにして上手く回っている(と思っている)。

息子にしてみれば、初めての外の世界である。さすがに最初の2日は最初から最後まで泣いていたらしく、連絡帳にも「ずっと泣いていました」「おやつはすべて残しました」と記載があった。食べることにかけてはおそらく同世代の子供ではなかなかいないんじゃないか、と思うくらい何でもパクパク食べる息子が、おやつを全く食べずに残す、というのはかなり珍しい。
ところがそこは子供、3日目になったらおやつは完食するようになり、保育時間が午後までになると、給食も完食。そして自宅と同じく、「足りない」と言って泣くようになったらしい。尤も、その後泣くことは「外の世界」を認識したらしく、保育園の先生曰く、「最後の方になるとゆっくり食べてます」とのことであった。

この泣いていたことからも分かるように、すでに人見知りも始まっており、知らない人しかいない世界は、顔をくしゃくしゃにして泣くほどのことだったらしい。もちろん最初は保育園もその世界だったのだが、保育園の先生やお友達については、もう心を許しても良い人になってきたようで、保育園は楽しい場所、という認識ができてきているようであった。
そしてもう一つは、保育園で年上の園児たちにすごく人気があるらしい。「かわいい!」「大好き!」と言われて遊んでもらっているようなのだが、親としては「調子に乗るんじゃないか」とか「大丈夫かな」とか思ってしまう。尤も、成長すれば息子も立場が逆転する訳なので、そこは心配する必要はないのかもしれない。

そして、同世代の子供との集団生活は、息子にとっていろいろな良い影響があったのは間違いないようで、以前であればテレビを見ても、黙って座ってみているだけだったのが、ちゃんと振りに合わせて(正確ではないが)動くようになってきた。
最初はどうなるかと思っていた保育園通いだが、息子にとっても良い効果があったのかな、と思っている。

大津の事故に思うこと

昨日、滋賀県大津市で非常に痛ましい事故があった。息子と同じくらいの2人の幼い命が犠牲になってしまった。犠牲になってしまった2人の幼い命の心からのご冥福をお祈りすると共に、こういった痛ましい事故は二度と起きないようにしなければならないと思う。
園児だけでなく、保育士の方もお怪我をされているという。とっさに園児を守ろうとしたことくらいは容易に想像でき、またGoogleのストリートビューに、同じ保育園かどうかわからないが、道路からかなり離れた場所で信号待ちをする園児と保育士さんの様子が偶然残されている。いずれにせよ、今回の事故で、保育園には何の落ち度もなかったと私は思う。

そして、こうした事故が起きた時のマスコミの報道は、毎回のことだが腹立たしさを超えて、あきれてしまう。保育園側は保護者に対しての説明の場としての記者会見を開いたのであろう。それに対して、報道陣からの質問のレベルの低さは相変わらずであったと思う。事故で家族を亡くした遺族に対してマイクを向け、「今のお気持ちは」と聞いて、怒った遺族にアナウンサーが殴り飛ばされたということもかつてあったように記憶しているが、今回はその対象が保育園の園長先生に行ってしまったらしい。

私はマスコミの人間は全くと言っていいほど信用していない。たまにインタビューされるような場に居ることがあるのだが、基本的に「取材お断り」にしている。その撮られた映像がどう使われるかわからないから、というのがその理由である。今回の報道で、テレビ朝日の報道ステーションが質問した内容がSNS上に多数上がっていたので、昨晩報道ステーションを見てみた。すると、その質問した内容はすべてカットし、質問者はレポーターとして登場、そして慟哭する園長先生の映像だけを使っていたという状態であった。早い話、自分たちが質問して、SNS上でたたかれたもんだから、その内容は編集しちゃった、ということになる。報道ステーションは、「報道」という意味を明らかにはき違えていると思った。

本来であれば、この質問も含めテレビの電波に乗せ、自分たちの「報道」がどういうものであるか、視聴者に問うべきところであろう。そこで批判があれば、その批判をすべて受け取り、今後そうした報道をしない、ということに注力すべきであろう。ところがそういう意識なんてものは昔から持ってないものだから、最終的に「都合の悪いことは消してしまえ」となってしまう。テレビの視聴者や新聞の読者が減っている今、マスコミ自体がどうすべきか、ということを、今一度考える時ではないかと思う。
報道関係の方は、今回の保育園の記者会見をもう一度よく見て、「報道する」とはどういうことか、じっくりと考えて頂きたい。今の考えのままであれば、テレビはさらに視聴者を失い、新聞はさらに読者を失うことはおそらく確実であろう。

今、SNSでは「保育士さんありがとう」というタグがトレンドワードになっていると言う。少なくとも、マスコミが考えるような、保育園に瑕疵があった、ということは絶対にない。番組を作っている人間は、きっと自分が子供を育てたことがないか、配偶者に押し付けていたのだろう。そうでなければ、こんな質問を投げかけるはずがない。

この事故において、保育園は完全な被害者であると私は思う。我が家の幼い息子も、この春から保育園に通いだした。毎日保育園から近くの公園などにお散歩に連れて行ってもらっているらしい。2歳になると自分の足で歩いてお散歩に連れて行ってもらうことになるそうなのだが、それより小さいと、かごに車のついた輸送車に乗せてもらい、保育士さんが引っ張って行ってくれる。
正直、他人の子供を朝から夕方まで預かって、一日面倒を見てくれるのだから、共働きの親としてはこれ以上にありがたい施設はないと思う。そして、待機児童問題などから新しく開園する保育園も多いのだが、物理的に狭小な施設が多く、園庭はそんなに大きくないところが多い。それ故に近隣の公園などにお散歩に出かける訳だ。もちろん、子供たちはそれを楽しみにしている訳で、雨の日などは息子の機嫌があまり良くないことも多いのだが、おそらくお散歩に連れていってもらえなかった、ということなのだろう。それゆえ、保育士さんと保育園には、毎日心からの感謝をしている。