使えるジャンクカメラ

以前カメラのカビだらけのレンズのクリーニングの話を書いたのだが、先日出かけた際に、カメラのキ〇ムラに寄る機会があった。出先にいくつか キ〇ムラ があるのだが、ジャンクコーナーに置かれているカメラやレンズはお世辞にも状態が良いものはなく、カビ取りクリーニングをするとか、一度ばらしてもう一度組み上げるとか、そんな作業が必要になるものが多い。

ところが先日、これが本当にジャンクなのか、と思うほど状態が良く、しかも
ニコマートELの黒
であった。ニコマートと言うと、今時はコンビニらしいのだが、その昔ニコンは、ニコンブランドを名乗れるのは、フラッグシップのFだけ、廉価版の一眼レフは、すべてニコマート(海外ではニッコールマート)という名前で販売していたらしい。亡き私の英語とカメラの師匠は、ニコマートFTNとELを持っており、過去FTNを購入して手元にあるので、奇しくも私自身もその2台を入手することとなった。1台1000円、シャッター切れるし露出計も動く。ということで買って帰った。ちなみにELはニコンでは初の電子シャッター搭載機で、絞り優先のオート機能がついている。ファインダーを覗くと、私の長年の相棒のFE2に近く、ピントも合わせやすかった。

普段はキヤノンだが、フィルムカメラに限ってはニコンのMFを持っている。化石のような旧ニッコールが2本、Aiニッコールが2本、オークションで買ったレンズと「ニコイチ」したタムロンの70-210mm(46A)があったので、早速そのうちの1本を取り付け、露出計を自宅でもチェックした。

若干オーバー気味かな、とは思ったものの、その後EOS M100と共に屋外で確認すると、ほぼ適正露出を指している様子。我が家では3台目のニコンのカメラ、ということになるのだが、この1台が1000円だったのはラッキーだった。

そしてその時に500円で売られていたのが、FE2のモータードライブ、MD-12。おそらく動作未確認で売られていたと思うのだが、こちらは自宅でFE2に取り付けて動作確認。すると、こちらも動いてしまった。
MD-12も、現在の1台だけではいつ壊れて動かなくなるかわからないので、予備が欲しいと思っていたのだが、500円で入手できてしまったのであった。

その後、オークションで28mm、メルカリで24mmを格安で入手できたので、現在我が家のニコンのマニュアルフォーカスフィルム一眼レフは、24、28、35、50、70-210と一通りそろえることができている。ELで撮影した写真は今度現像してみようと思っている。

辞令

先月会社で異動の辞令があり、部署を異動することになった。辞令が発令される前に、基本的には内示があることが多いのだが、内示では「現在やっている業務と、他の部署の近い内容の業務を強化したいので、そこに異動して欲しい」というものであった。

ところが蓋を開けてみたら、強化どころか人員削減、気が付いたら梯子を外されていた。どうなったかと言うと、私が担当していたAという業務と、別の2人が担当していたBという業務があり、AとBは近いので、Bの部署に異動して、AとBの一部を担当する、というニュアンスであった。
ところが実際出た辞令は、Bの部署に異動し、私が一人でAとBをする、という状況なので、結果3人分の仕事を一人で、そしてアシスタントも1人に削減(従来はAに1人、Bに1人)という、とんでもないものであった。

もちろんこの状況を見て、大半の人が疑問に思ったらしいのだが、当事者の私が一番驚いた。ただ、仕事はしないとどうしようもないので、毎日この与えられた業務をこなしていくしかないのだが、やってもやっても終わらないのに加え、出張回数も3倍とまではいかないが、倍近くに増えた。帰宅後はくたくたで、このブログともう1個のブログで書こうとした記事はとん挫したままである。

この状況で、おそらく会社の中で一番割を食ったのは私だが、それ以上に割を食ったのは嫁であろう。5月から職場復帰したのだが、そのタイミングで旦那は仕事が明らかにオーバーフローする状態になっているのだから、嫁が息子の面倒を見ないといけない回数は圧倒的に増えてしまったのである。

ということでしばらくはバタバタすることになったので、今まで以上に記事の更新は遅くなるかも。

大津の事故に思うこと

昨日、滋賀県大津市で非常に痛ましい事故があった。息子と同じくらいの2人の幼い命が犠牲になってしまった。犠牲になってしまった2人の幼い命の心からのご冥福をお祈りすると共に、こういった痛ましい事故は二度と起きないようにしなければならないと思う。
園児だけでなく、保育士の方もお怪我をされているという。とっさに園児を守ろうとしたことくらいは容易に想像でき、またGoogleのストリートビューに、同じ保育園かどうかわからないが、道路からかなり離れた場所で信号待ちをする園児と保育士さんの様子が偶然残されている。いずれにせよ、今回の事故で、保育園には何の落ち度もなかったと私は思う。

そして、こうした事故が起きた時のマスコミの報道は、毎回のことだが腹立たしさを超えて、あきれてしまう。保育園側は保護者に対しての説明の場としての記者会見を開いたのであろう。それに対して、報道陣からの質問のレベルの低さは相変わらずであったと思う。事故で家族を亡くした遺族に対してマイクを向け、「今のお気持ちは」と聞いて、怒った遺族にアナウンサーが殴り飛ばされたということもかつてあったように記憶しているが、今回はその対象が保育園の園長先生に行ってしまったらしい。

私はマスコミの人間は全くと言っていいほど信用していない。たまにインタビューされるような場に居ることがあるのだが、基本的に「取材お断り」にしている。その撮られた映像がどう使われるかわからないから、というのがその理由である。今回の報道で、テレビ朝日の報道ステーションが質問した内容がSNS上に多数上がっていたので、昨晩報道ステーションを見てみた。すると、その質問した内容はすべてカットし、質問者はレポーターとして登場、そして慟哭する園長先生の映像だけを使っていたという状態であった。早い話、自分たちが質問して、SNS上でたたかれたもんだから、その内容は編集しちゃった、ということになる。報道ステーションは、「報道」という意味を明らかにはき違えていると思った。

本来であれば、この質問も含めテレビの電波に乗せ、自分たちの「報道」がどういうものであるか、視聴者に問うべきところであろう。そこで批判があれば、その批判をすべて受け取り、今後そうした報道をしない、ということに注力すべきであろう。ところがそういう意識なんてものは昔から持ってないものだから、最終的に「都合の悪いことは消してしまえ」となってしまう。テレビの視聴者や新聞の読者が減っている今、マスコミ自体がどうすべきか、ということを、今一度考える時ではないかと思う。
報道関係の方は、今回の保育園の記者会見をもう一度よく見て、「報道する」とはどういうことか、じっくりと考えて頂きたい。今の考えのままであれば、テレビはさらに視聴者を失い、新聞はさらに読者を失うことはおそらく確実であろう。

今、SNSでは「保育士さんありがとう」というタグがトレンドワードになっていると言う。少なくとも、マスコミが考えるような、保育園に瑕疵があった、ということは絶対にない。番組を作っている人間は、きっと自分が子供を育てたことがないか、配偶者に押し付けていたのだろう。そうでなければ、こんな質問を投げかけるはずがない。

この事故において、保育園は完全な被害者であると私は思う。我が家の幼い息子も、この春から保育園に通いだした。毎日保育園から近くの公園などにお散歩に連れて行ってもらっているらしい。2歳になると自分の足で歩いてお散歩に連れて行ってもらうことになるそうなのだが、それより小さいと、かごに車のついた輸送車に乗せてもらい、保育士さんが引っ張って行ってくれる。
正直、他人の子供を朝から夕方まで預かって、一日面倒を見てくれるのだから、共働きの親としてはこれ以上にありがたい施設はないと思う。そして、待機児童問題などから新しく開園する保育園も多いのだが、物理的に狭小な施設が多く、園庭はそんなに大きくないところが多い。それ故に近隣の公園などにお散歩に出かける訳だ。もちろん、子供たちはそれを楽しみにしている訳で、雨の日などは息子の機嫌があまり良くないことも多いのだが、おそらくお散歩に連れていってもらえなかった、ということなのだろう。それゆえ、保育士さんと保育園には、毎日心からの感謝をしている。

10連休が終わって

世間では10連休ということで、行楽地に出かける車の渋滞を伝えるニュースが流れていたのだが、我が家は小さな息子も居ることから、出かけたのは私の実家のみ、両親に孫を見せるために車を走らせたことを除けば、ほぼ家の近辺で過ごしたことになる。

息子は3月末頃から歩き始め、今は数百メートルくらいは歩けるようになっている。いい機会なので、連休中近くの公園まで歩かせてみたり、飛行機を見せに伊丹スカイパークまで足を延ばしてみたりしてみた。自分ができなかったことができるようになること、というのは、年を取ってからでもうれしいものだが、息子の年齢であれば、本当に楽しいらしく、毎日結構な距離を歩かせてみたが、時間こそかかるがきちんと歩いてくれていた。

ここまで来ると次は言葉である。今のところ「わんわん」「どうぞ」「ぶーぶー」の3つは意味のある言葉が出てきている。それ以外にも何か言ってくれることは多いのだが、何を言っているのかわからないことも結構ある。もう少しすると、息子の言っている言葉が理解できるようになるはずで、どんなことを話してくれるのか、今から楽しみにしているのであった。