ペナンの商家を使った宿(その1)

昨年(2017年)の春にペナンに行った。以前は日本からの直行便も就航していたのだが、現在は乗り換えのみ。今回はクアラルンプールを経由してのペナン行きとなった。
昔はペナンと言えばリゾート地であり、30年くらい前であれば、ペナンに行くパックツアーも多数催行されていた。ところが日本のバブル崩壊の頃から、ペナンに行く人は少なくなり、いつの間にか日本からの直行便もなくなって、フライトはすべてクアラルンプールに直行するようになっていた。

観光客が減ると、一般にはそのまま廃れてしまうか、徹底的なてこ入れをして再度観光客を呼び込むか、いずれかになってくるのだが、ペナンの場合は後者であった。古い町並みを整備しなおし、旧市街の全域が2008年に世界遺産に登録。正直リゾートとしての魅力は現在は皆無に近く、ビーチで海に入るという意識がまったくないのだが、一方で街歩きをするには結構魅力的な場所に変わっていると思う。
そのペナンで宿泊するホテルを探していると、面白いホテルがいくつか出てきた。2泊しかしなかったのだが、2泊とも別のホテルにしたので、今日はそのうちの1つを紹介してみたい。

ホテルの名前はレン・イ・タン ヘリテージ・イン(Ren I Tang Heritage Inn)と言う。元々はYin Oi Tong(仁愛堂)という薬の問屋さんだったそうで、建物は1885年に建てられたもので、2009年まで現役の問屋として機能していたとのこと。翌年、ホテルに改装されているのだが、その薬の問屋だったころの設備をそのまま上手にホテルにしてあった。

建物は古いので、エレベーターがない。ところが、ペナンにやってくる観光客は、私たちを含め荷物が大きい人が多い。そして客室は2階、3階に位置している。しかも階段は昔の建物故に結構急である。階段を持って上がらないといけないかと思ったら、レセプションのお姉さんは一言、「ここに置いておいていいわよ。持って上がるから。」と宣った。
薬問屋時代は、2階、3階は倉庫を兼ねていたらしい。当時の薬を運ぶ滑車が残っており、それを使ってスーツケースなどの大きい荷物の上げ下ろしを行い、人間は階段で、というシステムになっていたのだ。

客室はきちんと個室にしつらえてあったが、私たちはロフトのある客室に宿泊した。部屋に入ってみると、ベッドがロフトにしつらえてあり、階下にシャワーと洗面、トイレ、リビングスペースという構造になっていた。部屋には注射器のオブジェがあったり、薬問屋を意識されるものも。この手のホテルはなかなか手が込んでいて面白い。

翌朝の朝食もサービスでついてきたが、日中はカフェとして営業しており、カフェの名物らしきビーフンもサービスしてくれた。1泊だけでは少しもったいない気がする宿であったが、ペナンには面白い宿が多いので、もう1泊するなら別の宿に行ってみたい、と思ってしまうのであった。

息子の手術

私自身、小さな日帰り手術は生涯で5回受けており、1つは皮膚科、残りは外科であった。最近は鎮痛剤などの技術も進歩しており、痛みを感じない訳ではないが、のたうち回って大変なことになったのはそのうち1回だけで、残りは普通に生活できている。尤も、術後の傷口の周りがかゆいことには何度となく閉口した。

さて、私自身はほとんど手術らしい手術を受けていないのだが、息子は生後10日で大きな手術を受けており、小さな身体に大きな傷跡が残っている。私はこの傷跡を彼が頑張った勲章だと思っており、個性の一つとして捉えている。
息子は心臓の血管の配置が先天的に逆転している完全大血管転位という障害で、手術は12時間に及ぶものになった。当時わずか3kgの小さな身体で耐えられるのか、とすら思ったが、近くの総合病院に在籍されている心臓血管外科の名医の先生に執刀していただくことができ、術前の説明でも「必ず元気になりますから」とおっしゃられており、先生の手術に対する自信を感じた。12時間の手術時間、容体が安定する翌日までの間、そして退院するまでの間は肝を冷やしたが、1か月ほどで無事に退院となり、現在はそんな大手術の痕跡は、胸に大きく残る傷だけになっている。

今は医療技術が進歩したおかげで、息子は出生前に異常が見つかり、手術も早期に行うことができた。おそらく私の年代であれば手術の方法も今と異なっていたし、その後においてもまだ手術の成功率は高くなかった。そういう意味では、息子はこの時代に生まれてきて、無事一命をとりとめた、と言ってもよいかもしれない。

ちなみに親父(つまり私)の背中にも、外科手術の傷跡が残っているが、こちらは粉瘤の巨大化したものを除去したもの。放置しておいたので手術で除去するべき部分が大きくなり、傷跡が大きくなってしまった。外科手術は怖がらずに早く受けるべきだと実感した。

ジェットストリーム

TOKYO FM系で午前0時から放送されている「ジェットストリーム」というラジオ番組がある。私は中学生の頃に聞き出したのだが、当時から提供は日本航空のみで、一時は複数社提供になったがこの春から再び日本航空の単独スポンサーになっている。番組の時間帯もあるのだが、深夜の夜間飛行と、遠い異国をイメージさせた番組構成になっている。

この番組を聞き始めた頃、海外に行ったことがなかった訳ではないのだが、ヨーロッパやアメリカを紹介するナレーションを聞き、憧れに思いをはせていた。パックツアーで40万、50万という金額を聞き、とんでもない金額がかかるものだ、とも思ってもいた。
海外旅行の値段が下がり始めたのはその後のことで、私が初めてヨーロッパに行った1990年代の前半は、冬季のパックツアーが20万円台前半、現代であれば10万円を切ったツアーすら出てきており、時代の変化を感じる。

高校生の頃が最後で、その後定期的にジェットストリームを聞くことはなくなったが、1995年に初代のナレーションを務めていた城達也氏が亡くなられたと聞き、あのナレーションがもう聞けないことにさみしさを覚えた。その後、番組のスタイルが何度か変わり、現在の大沢たかお氏のナレーションは5代目と聞く。
一方で、一時は機内のオーディオからも消えていたジェットストリームが、最近は復活しており、機内向けにナレーションも含め編集されたバージョンが流されている。最近は機内Wi-Fiなど、乗っている間の時間つぶしのツールはなんでもある時代なのだが、私はWi-Fiでスマホをネットにつなぎ、一方でオーディオはジェットストリーム、月に何度も乗って聞き飽きている時はクラシックのチャンネルと決めている。

出張帰りの夜のフライト、薄暗い機内でこの番組を聞くと、1日の仕事を終えた疲れが弛緩し、最近はあまり行けていない欧米への旅行へと思いを馳せる時間にもなる。放送開始から50年を超え、ますますこの番組の魅力にとりつかれている。

百聞は一見に如かず

いろいろな人から「〇〇に行ってみたら良かった」という話を聞いて、ずっと食わず嫌いだった場所が2か所ある。1つはニューヨーク、もう1つはハワイ。海外旅行経験は人並み以上と自負できるのだが、一方でこの2つの土地に行くことになったのは、初めての海外旅行に出てから実に30年以上後のことになる。

ニューヨークは「世界中の人が憧れる街」だと言う。行ってみるまではその魅力はまったく分からなかった。4年前、カリブ海のビーチリゾートに向かう際に、往復の飛行機の乗り換えがニューヨークであった。帰りに4日ほどニューヨークで過ごすことになったのだが、そのわずかな滞在で、この世界の人を魅了する街に、私もすっかり魅了された。大きな街だがエリアは狭く、そこに楽しみがギュッと凝縮されている、とでもいうべきか。アメリカは食べるものがおいしくない、と言われるが、ニューヨークであれば、やはり世界中から人が集まっていることもあり、食事には事欠かなかった。結果、ニューヨークについては、何度も行ってみたいと思わせるものが残って帰国することになった。

ハワイはアメリカや日本からのリゾートとして人気が高い。どこでも日本語が通じる、リゾート、ということで、こちらも行くまでまったく魅力はわからなかったし、行くつもりもあまりなかった。ところが昨年(2017年)、LCCの雄、エアアジアXが田尻町営飛行場、じゃなかった関西国際空港からの直行便を就航させたときのキャンペーンチケットで、往復3万円で航空券を購入。初めてハワイに行くことになった。
実際に行ってみて、「どこでも日本語が通じる」というのは嘘だと思った。もちろん観光客が多数行くようなところは日本語が通じるが、結構英語を使わないといけないし、私自身も片言の日本語を話してもらうより英語で話してもらったほうが楽である。
そして、オアフ島を車でうろうろして、ハワイアン航空の離島路線に乗り、ハワイの「空気」を感じた。南国のリゾート地特有の雰囲気と、一方で自由の国アメリカの雰囲気。ハワイの持つ空気感は、何度も行く機会を作りたくなる場所であった。

さて、いずれの場所にも共通する困ったことが一つだけある。ニューヨークもハワイも、ありえないくらい物価が高い、ということ。

バリアフリーのお花見

※記事は2018年4月に書いたものです

今年(2018年)は、3月に入って急激に暖かくなったからなのか、桜の開花が例年よりもかなり早く進んだ、と言われている。確かに、大阪市内でも3月下旬には満開になり、この記事を書いている4月上旬にはすでに結構散ってきている状態。例年であれば、これから桜の時期になり、おそらく次の週末が見ごろになるので、ほぼ1週間先行した、と言ってよいかと思う。

昨年までであれば、夙川や吉野などの関西各地の名所に出かけて行ったのだが、今年は赤子もいるので、ベビーカーを押していけるような、いわゆる「バリアフリー」の場所でないとなかなか出かけることは難しい、ということになる。したがって夙川も吉野も「バリアリッチ」なのであきらめ、昨年行って意外に楽しめた神戸の王子動物園へと向かった。
阪急電車に乗って王子公園駅で降りると、エレベーターは東改札の1か所のみ。ここで複数の親子連れが渋滞し、結局エレベーターに乗れたのは3組目であった。やはりまだバリアは多い。王子動物園の入り口に到達すると、今度は入場を待つ長い列。こちらは改札できる場所が少ないので仕方がない。幸い段差はなく、ベビーカーでそのまま園内に入ることができた。

王子動物園そのものは二度目なのだが、園内の桜の数は相当で、入場料を支払って園内に入り、動物を見ながら桜を愛でることができる。まだ赤子はそこまで理解できていないので、ベビーカーの上でニコニコしたりぐずったりしているだけだったが、私自身は象、キリン、ネコ科の動物一式とパンダを見せられたので、きっと子供が成長するころには、そういった動物に興味を持ってくれることを期待したい。

赤子の機嫌があるのでこの日はこれで撤収したが、電車の乗り換えがあったりすると、乗り換え案内のサイトに出てくる電車にはすんなり乗れないことが多く、これは子供連れだけでなく、車椅子を使われている方なども、まったく同じ状況に置かれている、ということになる。

翌日も午後から好天だったので、徒歩で行ける範囲の桜が鑑賞できるところへと向かった。一つは自宅近くの「定点観測ポイント」、もう一つは在住している市内の有名ポイントに向かった。いずれのポイントまでもベビーカーを押していく訳だが、むしろこちらは好天だったこともあり、スムーズに現地到着。帰りに赤子がぐずったことが計算違いではあったが、こちらの方が楽々であった。

ほんの一瞬の桜の満開ではあるが、同じく我が家の赤子の今の姿もほんの一瞬でしかない。いずれの一瞬も、きちんと記録して、記憶にも残しておきたいものである。

仕切り直し

Yahoo!ブログが年内で終了、ということで、サーバーの有効活用もかねて、こちらのブログを立ち上げてみました。

Yahoo!で書いていた記事を移植して、それから新しい記事を書いていこうと思っております。

ということで、はじめましての方もそうでない方も、どうぞよろしくお願いいたします。